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デモテープを創ると宣言してはや3週間…。
未だ創れていない。
思索の海で溺れかけ。
本当の自分なんていない。
周囲の刺激に敏感か鈍感か。
ただそれだけなのだろう。
今いる自分が本当の自分?
今いる環境に合わせた自分?
今こうした文章を書いている環境から離れれば、
書く内容はきっともっと全然違う内容だ。
環境の変化に敏感なのは、
自分自身に自信がないからだろうか。
環境の変化に鈍感であることはいいことなのだろうか。
自分自身を過信してはいないだろうか。
この社会で生きている限り、自分ひとりの力では生きていけないのだろう。
それでも今ある個の自分を維持したいという思いがある。
それは遺伝子上に刻まれた「種の保存」のような本能なのだろうか。
それともただの怠惰か。
もう少しで突き抜けられそうな壁。
あと少しだ。あと少し。
もっと新しい刺激を。もっと新しい情報を。もっと新しい感覚を。
突き抜けるために必要なエネルギーをプッシュしていくことが、
今の僕には大事なことだ。
そして最後に集約させて、バランスをとる。
とれたらもう一度、バランスをとったことで生じた壁を突き抜ける。
その繰り返しだ。
まぁ、裏から回って弱点を突けば、壁はあっさり壊せるんだろうけど。
それじゃあんまりおもしろくない。
用意されている答えを、その答えを解説するためのプロセスを、
全てぶっ壊して新しい導き方を考えることが、
たぶんこの世で一番面白いことだと思う。
答えやプロセスを知った状態で考える。
答えやプロセスを知らない状態で考える。
そのどちらの感覚も味わえたのなら、
とても面白く、幸せなこと。
そうして考え方に幅が広がっていくのだろう。
オペラント条件付けの概念を思い出す。
あろ行動(A)の結果、自分の利益になることが起きたとしたら、
ある行動(A)が自分の利益になることにより強化され、
ある行動(A)を行う頻度が高くなる。
自分の利益になることは何か。
意識の奥で本能のように扱っているそれを、
なんとか引きずりだしてみよう。
氷山の海面の下に沈んでいる部分にたとえられた無意識を、
海の上に引きずり出して、
非意識化していた自らの核を自認しよう。
そうすれば自分の行動は意識化できる。
理論的に本能を理解するという矛盾を、
解決しようとするのは気が狂っているのかもな。
それでも、自分自身をコントロールできるようになれば、
それは一種の究極だろう。
統合失調症と診断された人たちは、
そのコントロールを失ったことにより症状が顕在化した、のか。
それとも、意識的にコントロールして意識を分散した、のか。
発想の転換。
いまの自分が何をしたらよいのかわかっていないのであれば、
そういう状況であることを自分で認め、外部に出力すること。
そして、外に出力したものを、後になって振り返ることができるようにしておくこと。
それが自分をコントロールするための手掛かりだ。
自分自身で客観視できない時には、意識を外に置くこと。
記憶の呼び水になるものを、外の世界に残しておけ。
世界は膨大な保存領域のある記憶媒体だ。
自動削除されないうちに、深く刻みつけておけ。
投稿者 ybb4ac | 返信 (0) | トラックバック (0)